【最終話】仮面ライダービルドから学んだヒーローの生き様【感想と総括】 | 驚天動地な英雄譚

【最終話】仮面ライダービルドから学んだヒーローの生き様【感想と総括】

仮面ライダービルドが遂に最終話を迎えました。

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終わり方に色々物議を醸し出されながらも、全体的には名作と呼べるくらいには良い出来だったと個人的には思っています。

戦争を扱う脚本だったり、平行世界とか色々SFチックな表現が多い作品でしたが、私は頭が悪いのでそういった演出等の考察は致しません…

ですので、私はこの作品で一番印象に残った「ラブ&ピース」という言葉と、それを信じる仮面ライダー達のヒーローとしての生き方について考えて行きたいと思います。

勿論最終話や映画の話題も出しますので、ネタバレ注意です。

劇場版 仮面ライダービルド Be The One 感想はこちらから

ビルドの世界の「仮面ライダー」

仮面ライダーという総称の意味合いというのは作品ごとに多少異なることがあります。

昭和ライダーで言えば、「人間の自由と平和を守る正義のヒーロー」といったところでしょうか。

平成になると、例えば仮面ライダーダブルであれば、「風都に現れる怪物から市民を守るヒーロー」であり、「その市民からの感謝と期待の代名詞」という、自分達が勝手に名乗るのではなく、守るべき人々に与えられた名前として「仮面ライダー」は存在します。

対してビルドはその真逆とも言える、「戦争を引き起こす悪の代名詞、武力としての暴力的な存在」として人々から忌み嫌われる存在として描かれています。

それが高じて仮面ライダーを殲滅するという動きがあったのが「劇場版仮面ライダービルド Be The One」でしたが、本編終盤は市民の熱い手の平返しで「地球を救うヒーロー」として扱われ、応援されるようになりました。

視聴者は少々もやっとする展開ですが、あの世界の人からすれば戦兎達の活動なんて知るわけないし、政府もといエボルトにがっつり情報操作されてるわけですから、仮面ライダー=悪と捉えても仕方ないと思います。事実犯罪者扱いだった奴を信じろという方が無理でしょう。

ビルドという仮面ライダーは、「ヒーローは正体を明かさないもの」だとか、「ヒーローは人を助けるけど感謝は二の次であるべき」だとかの、良く言えば王道、悪く言えばテンプレに等しい一般的なヒーロー像というものを重点的に描写しています。

その王道のヒーロー像を作り上げたのが、初代仮面ライダーとも言われるため、つまりは原点回帰の作品とも呼べるでしょう。

戦兎達は地球を救ったけれど、守られた人々は感謝どころか自覚すらない…

では何故、桐生戦兎達は仮面ライダーであり続けるのか…

勿論、「ラブ&ピース」のためです。

仮面ライダービルドもとい桐生戦兎は、当初は自身の記憶が無い事に不安を感じ、それを払拭するかのように(記憶を取り戻すという目的はあったが)ひたすらに正義のヒーローとしてスマッシュと戦うというある意味自己犠牲とも取れるスタンスでした。

その心情から芽生えた言葉が「ラブ&ピース」。

(後にこの言葉が父・葛城忍から、葛城巧へと向けられたメッセージだったことが判明し、それが巧と同存在である戦兎に受け継がれ、「桐生戦兎は元々空っぽじゃなかった」という救いになったわけですが…)

人々の愛と平和を守る事が出来れば、他にはもう何もいらない。

所謂1つのヒーローとしての理想像が、本来この世界にいるはずのない桐生戦兎という人格の心の支えであり、生きる希望として在り続け、自分が仮面ライダーと呼ばれる事の意義として自分で言い聞かせ続けていたのだと思います。

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万丈龍我という相棒

もしビルドがラブ&ピースを掲げ、たった一人で戦い続けていたとしたら…

精神を病むほどには無いにせよ、エボルトによって創られたヒーローであるという事実を受け入れ、前へ進むことは出来なかったと思います。

そうなった場合、誰が心の支えになると思う?

万丈だ。

このネタがやりたかっただけという訳ではなく、実際万丈の存在は戦兎にとってとてつもなく大きなものとなっています。

先ほどはラブ&ピースが守れれば他は何もいらない、というスタンスが仮面ライダービルドというヒーローとしましたが、後半になると多少そこに欲が生まれます。

万丈を始めとした仲間たちとの絆が、空っぽであり創られた存在であった桐生戦兎という人格を形作り、戦兎の生きる希望として昇華していくようになりました。

だからこそ、新世界が形成され、仲間たちが自身の記憶の全てを無くした事に対して大きな孤独感に苛まれたのだと思います。本当に戦兎がラブ&ピースだけで良いと考えているなら、あんなラストにはならないでしょう。

そしてその救済措置として選ばれたのが、万丈だ。しつこいですね

新世界で桐生戦兎を知るたった一人の人間として、万丈は戦兎と共にどこかへ旅立つわけですが、彼らはこの後どんな人生を歩むのでしょうか?

Vシネでその後日談として仮面ライダークローズを出すみたいなので、ここで色々と判明することを期待します。

特にラスト…「記録を49に分けてデータ化する」というシーン、「実は今までの話は後に戦兎がデータ化した記録を視聴者に見せていた」という第一話から始まる重大な伏線で、「2人しかいないのに何故一海や幻徳、更にはエボルトの声が入っているのか」等の謎も解明されることも期待しています。

話を戻して、万丈と戦兎の関係性についてです。

万丈が戦兎の心の支えであると同時に、万丈も戦兎をヒーローとしての自分を支える存在として考えていたのだと思います。

どちらか一方が倒れそうなとき、もう片方が助けるという展開は本編中何度も起こりました。

互いに支えあうことでヒーローとしての強さを創造していく事、それこそがビルドという仮面ライダーの強さの本質だと思います。

その強さは、本来ベストマッチになり得ないラビットドラゴンをもベストマッチにさせる程。

ドライバーという意思のない機械が戦兎達の想いに呼応してシステムを捻じ曲げる展開は非常に熱く、最後の一撃として文句無しの演出でした。

それぞれの戦う意味

戦兎の戦う意味がラブ&ピースとするならば、

万丈はラブ&ピースを掲げる戦兎という相棒を支えるため、

一海は犠牲になった仲間達の復讐と、今を生きる仲間が平和に暮らせる世界を創るため、

幻徳は自身の過ちを償い、世界から争いを無くすため、

と、それぞれ細かく違いはありますが、平和を願って戦うという点では同じです。

決定的に違うとすれば、それぞれが考える守る存在でしょうか。

戦兎はいわずもがな世界全体を見据えてのラブ&ピースで、万丈もそれに倣っているわけですが、実際は仲間たちというか、自分の守れる範囲を全力で守るというスタンスのほうがしっくり来ると思います。

一海は三羽カラスや西都のためという意味合いが強く、幻徳にいたっては平和な世の中にする事が自身のやって来た事の贖罪である、という償いの意思が戦う理由となっています。

それぞれが持つ正義の形というか、守るべきものは範囲の差はあれど全て正しいものであり、むしろ他人が正しいか否かを論ずるのは野暮というもので、自分が戦う力を手に入れたとき、自分はどんなヒーローになるか。そんな問いに様々な答えを想定したのがこの作品なのだと私は考えます。

逆に悪役として現れたエボルトは終始ヒール役で、星を滅ぼすことが自分の正義と言わんばかりの非道を繰り返すわけですが、正義の反対はまた別の正義とは良く言ったもので、ここまで悪として染まりきっていると逆に清清しさを感じます。

人類にとって完璧に極悪人として徹してきたエボルトというキャラクターがいたからこそ、戦兎達仮面ライダーの掲げる正義が一層映える結果になったと考えれば、これほど理想的な悪役はそうはいないと思います。

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まとめ

私個人としては、「仮面ライダーというヒーロー物の番組」という枠組みで考えるとほぼ満点に近い出来だと思いました。

基本である勧善懲悪の要素を抑えつつ、それぞれのヒーローが掲げるテーマもキッチリ書き分け、49話にも渡る長編にも様々な伏線を散りばめた緻密な脚本が非常に素晴らしかったです。

一貫してラブ&ピースという行動理念を曲げなかったのも、子供の見る番組のヒーローとして分かりやすい設定でした。

終わり方に賛否両論あるみたいですが、まあ以前から予想出来ていた分案外普通に受け入れることが出来ました。

ぶっちゃけジョジョ6部でも見たことある展開ですからね…ライダーで言うと龍騎の最終話が近いかな?

戦争とか、世界滅亡とか、結構ニチアサにしてはハードな設定がちょくちょく挟まり、これらも主に親御さん方が色々と苦言していたみたいですが、何度も言う通りヒーロー物として非常に良く出来ているので、教育に絶対良いとは言わないまでも、子供ながらに何かを感じ取るには十分中身のある作品に仕上がっていると思います。

創る、形成するという意味のビルド。

新世界で「葛城巧」でもなく「佐藤太郎」でもない「桐生戦兎」という個の人格を手に入れた戦兎と万丈がこの先どんな人生を創り上げるのか…

願わくば、再び美空やカズミン、げんとくん達と仲間になれる未来を創造していって欲しいと思います。

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